全能の創造主は、全能であるから無から全てを創造されたのです。それを成就するために必要な時間は、創造主にとって問題ではありません。たとえ1秒でも1000分の1秒でも、何の違いもありません。ほんの一瞬で天地万物を創造できる御力をお持ちなのです。

そして、主がわざわざ六日間かけて創造され、七日目を安息日として休まれて、聖なる日として祝福されたことにこそ、特別な意味があると言えるのです。六日間では短すぎる、不可能だと思うのは、創造主のことばを無意識のうちに人間的な判断基準(進化論の視点)で理解しようとしているからでしょう。

更に詳しく知りたい方へ

天地万物の創造は、創造主ご自身以外には何も存在しない状態から、すべてのものを新しく創り出されたということです。そのことはまさしく奇蹟以外の何ものでも無く、全知全能の創造主だけが成就できる世界です。全知全能ということは、私たち人間の理解出来る範囲を遙かに乗り越えた出来事であり、そのようなことが六日間では短すぎるとか、一千万年なら可能だと考えるとしたら、それは万能の主の御業では無く、何か別のものを考えの中に投入しているだけです。すなわち、進化論です。無から有を生み出すということは奇蹟であり、何十億年掛けても、無から有は生じませんし、まして、生き物が湧いて出ることではありません。

創造の詳細については、創世記1章に主によって記録が残されており、1日ごとに区切られて記されています。

創世記1:5 地、時間、空間、光を創造された。

神は光を昼と名づけ、やみを夜と名づけられた。夕があり、朝があった。第一日。

1:8   水を上の水と下の水に分離し、間に大気を創られた。

神は大空を天と名づけられた。夕があり、朝があった。第二日。

1:13  大地と水を分け、植物を造られた。夕があり、朝があった。第三日。

1:19  太陽、月、星を造られた。夕があり、朝があった。第四日。

1:23  海の生き物、空を飛ぶものを造られた。夕があり、朝があった。第五日。

1:31  陸の生き物を造られた。そして神の御姿を映して人を創られた。

神はお造りになったすべてのものを見られた。見よ。それは非常に良かった。

夕があり、朝があった。第六日。

このように一日、一日を非常に秩序立って創造され、「夕があり、朝があった」、つまり地球が1回自転して24時間経過したことを明確に記述しておられる

のです。そして、各工程が終了した段階で、創造なさった作品が最高の出来映えであることを「良し」と言って確認されました。

こうして、創造主は明確に6日間の創造であることを、創世記に記述しておられるのです。