ノア一家は同じ人種ですか、違うのですか?

最初に「人種」という言葉を考えてみたいと思います。すなわち、学問的に「人種」という概念が成立するのかどうかという基本的な問題です。

クリスチャンでさえ「人種」というものが存在すると大勢が信じているのです。そして、洪水後、ノアの3人の息子から「人種」が生まれ出たというのが、一般的なクリスチャンの共通認識であるようです。しかし、学問的に「人種」という分類はもはや存在しません。信仰とは無関係に、学問的な結論です。キリスト教と無関係な人々の見解を簡単に紹介します。

Wikipediaには、かなり詳細な情報が掲載されています。生物学的、遺伝学的に人種という分類は出来ないことを明確に記述しています。Wikipediaは、学説の歴史の流れ、代表的な研究者の見解などを紹介しています。そこに記載されていることに関して、ここでは総括として書かれていることのみ記します。

「人種とは、ヒト・人間を分類する用法の1つである。 生物学的な種や亜種とは、異なる概念である。現生するヒトは、遺伝的に極めて均質であり、種や亜種に値する差異も存在しない。」(Wikipedia)

ダーウィンの進化論の考え方に沿って、世界中の様々な民族グループをそれぞれ別の「人種」として人々は考え始めました。そのために、意識的、無意識的を問わず、人々の思考に他の民族グループに対する偏見を植え付ける結果となりました。しかしながら、今では世界のすべての人は「ホモ・サピエンス」と分類されています。現在の科学者は、人間には、生物学上たった1つの人種しかないと認めています。人間の営みである学問は様々な人種論を考え出し、道に迷って議論を展開してきました。二十一世紀に至って、辿り着くべきところ、聖書の結論、すなわち人は一種類であるという結論にようやく到達しました。

地球の歴史、そして人類史を正しく教えている聖書は、この点についてどのように答えているでしょうか。すべての人間はアダムの子孫です。人間にはそれ以外の可能性はありません。そういう意味で、本来的な意味では人種はなく、一種類の人なのです。

noah_6_1最初の人アダムは創造された時に、豊富な遺伝情報を主に頂きました。アダムとその妻エバが持っていた遺伝情報は二代目のセツへはすべて伝達されたかも知れませんが、いくらかの情報は失われたかも知れません。親から子へ、子から孫へといのちの本質的なこと、重要なことはそのまま受け継がれますし、もしその部分の伝達が正しく行われない場合には、当然のこととして命そのものが失われてしまいます。洪水を生き延びたノアはアダムから十代目で、ノアとその妻との間に生まれた3人の息子から、全人類が生まれました。現在人類が持っているあらゆる情報は彼らから出ていますが、代を追って情報は子孫に順番に分け与えられて、そして少しずつ減少しました。

人種と人々が言った時に、それは概ね人の目に見える特徴、肌の色を指して言っているのでしょう。そして、肌の色があたかも人間として大きな遺伝的差違があるかの如くに大宣伝をして、「人種」という分類をしてしまいました。しかし、人間が持っている遺伝情報の中で、肌の色を決定する遺伝情報はごく僅かの割合にしか過ぎません。すなわち任意の白人二人を取り上げた時の遺伝的相違は0.2%、黒人同士二人でも同様に0.2%の相違があります。ところが白人全体と黒人全体を比べた場合の遺伝子の相違は、個人間の相違より小さくて、僅か0.012%に過ぎないのです。

洪水後に人種が別れたのですか?

すべての民族は、セム、ハム、ヤペテから生まれてきたのですが、それら様々な民族グループは、決して「人種」と言えるほど相互の差違はありません。

そして、肌の色を言うならば、ノア夫妻は、白い肌の子孫、黄色、褐色などの肌の色の子孫、黒い肌の子孫を生むことが出来るだけの遺伝情報を備えていたということです。それが、三人の息子とその妻たちから、順次情報が分け与えられて、ある人々は肌の色を濃くするメラニン色素を生合成する能力を貰わなかったので白人になり、ある人々は豊かに与えられて黒人になったということです。

遺伝のメカニズムは、ある程度は判明していますが、詳細なことは学問が進むにつれて不明瞭な点が見えてきています。遺伝情報が多少修飾を受けたり、減少したりするメカニズムに突然変異が大きく関わっていることは明らかですが、必ずしも明確に解明されたわけではありません。

アンサーズ・イン・ジェネシス(AiG)から「『人種』はなぜあるのでしょうか?」という小論文がネット上で公開されており、日本語訳も公開されています。興味のある方は是非お読み下さい。

「人種」はなぜあるのでしょうか?(日本語翻訳)

Are There Really Different Races? (English)

***** 詳細は下記 *****

「人種」を識別するために採用されていた形質(皮膚の色、頭骨の形態、光彩(眼)の色など)は、実際のところ「勾配」としか判断できず、またこれら形質のいずれであっても基準とするための科学的な根拠が無いことなどから、積極的に「人種」という概念の科学的な有効性を主張する研究者が少なくなり、多くの自然人類学者や遺伝学者は「人種」という概念を使わなくなっています。

チャールズ・ダーウィンは「種の起源」を発表した後、1871年に「人間の進化と性の淘汰」を発表しました。彼の意見は「進化においては利他的な部族が有利であったが、ときに利己的な部族によって滅ぼされることもあったであろう」というものであったのに、不幸にして、いつの間にか「常に強い部族によって弱い部族は置き換えられてきた」という「弱肉強食論」にすり替えられてしまったようです。そのために、帝国主義や人種差別を正当化する主張に利用されることになりました。

人は他のいかなる動物よりも慎重に研究されてきたが、彼らが一つの種あるいは人種と見なされるべきかどうか、有能な調査者の間にも多様な意見があり、・・・・・人々は連続的に変わっていき、はっきりとした区別がほとんど不可能なことを表している。

チャールズ・ダーウィン「人間の進化と性淘汰」より

ダーウィン自身は人種間における生物学的な差異は非常に小さいと書いており、また、そのような論理の帰結として、奴隷制度や奴隷の虐待、被植民者への差別的待遇には反対していたというのも頷けることだと思われます。このようなことがあったにも関わらず、ダーウィンの評判は散々で気の毒な気もします。

伝統的な人種の肌の色による分類について、世界の先住民の肌の色を示した図(Wikipedia)を紹介します。これは肌の色や風貌等に着目した伝統的な人種分類法を否定する根拠としてしばしば使われるものです。肌の色は実際の居住地域の環境の影響を受けるので、肌の色による分類に遺伝学的な根拠が無いことを示しており、肌の色によって集団間の遺伝的距離を測ることはできないのです。

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かつての自然人類学や文化人類学では、ネグロイド、および北アフリカ・ヨーロッパ・西アジア・アラブ・南アジアなどに見られるコーカソイド(白色人種)、オセアニアに見られるオーストラロイド、東アジア・東南アジア・ポリネシア・南北アメリカ大陸などに見られるモンゴロイド

noah_6_2(黄色人種)を四つの大きな人種として分類していました。しかし、現在、人類は、生物学上ホモ・サピエンスというただ一種とされており、いわゆる人種という考え方はされていません。そして、一定の文化的特徴を基準として他と区別される共同体を民族という言い方をしています。

洪水後、セム、ハム、ヤペテのそれぞれの家族は増え広がり、別々の分野で祝福を受けて栄えました。ヤペテの子孫は海沿いの国々に、ハムの子孫はカナン人、ペリシテ人、またバベルの塔を建造したニムロデたちです。そして、セムはアブラハム、ダビデにつながる家系の先祖となりました。この人々の外見がどのようであったか、誰も知りません。

創世記10章1節~32節

「これはノアの息子、セム、ハム、ヤペテの歴史である。大洪水の後に、彼らに子どもが生まれた。ヤペテの子孫はゴメル、マゴグ、マダイ、ヤワン、トバル、メシェク、ティラス。」(10:1-2)

「これらから海沿いの国々が分かれ出て、その地方により、氏族ごとに、それぞれ国々の国語があった。ハムの子孫はクシュ、ミツライム、プテ、カナン。クシュはニムロデを生んだ。ニムロデは地上で最初の権力者となった。」(10:5,6, 8)

「それでカナン人の領土は、シドンからゲラルに向かってガザに至り、ソドム、ゴモラ、アデマ、ツェボイムに向かってレシャにまで及んだ。以上が、その氏族、その国語ごとに、その地方、その国により示したハムの子孫である。セムにも子が生まれた。セムはエベルのすべての子孫の先祖であって、ヤペテの兄であった。」(10:19-21)

「アルパクシャデはシェラフを生み、シェラフはエベルを生んだ。エベルにはふたりの男の子が生まれ、ひとりの名はペレグであった。彼の時代に地が分けられたからである。」(10:24,25)

「以上が、その国々にいる、ノアの子孫の諸氏族の家系である。大洪水の後にこれらから、諸国の民が地上に分かれ出たのであった。」(10:32)